2016年08月11日

2016 初夏の箕沢林道(七ヶ岳林道・支線)

平成27年9月の関東・東北豪雨災害は、平成27年9月11日に日本海沖で温帯低気圧となった台風18号に収穫前の米農家は胸をなで下ろしたが、実は太平洋上で停滞していた台風17号によって日本列島を挟んで線上降水帯が発生、関東北部から東北南部に掛けて24時間の降水量が300ミリ以上の猛烈激烈な雷雨が発生した。

この「一日掛かりのゲリラ豪雨」とも言われた豪雨は南会津全域の河川や道路、水田などの農作物に甚大な被害を与えたのであるが、昨年は駒止に行く機会を逃してしまった。
国道289号線、駒止トンネルの北側の尾根にあるのが駒止湿原のある旧289号線だが、南側の尾根に在るのが名峰七ヶ岳である。標高1635mの主峰を始め1500m級の峰が壁の様に立ちはだかる。
その里道と言えるのが山脈と平行して進むのが基幹林道七ヶ岳線である。

さて、前回の続き。
何とか駒止の山口側ゲート脱出を果たし(いやね、一応封鎖の際はこの辺から脱出!が可能かどうか確認して入ってるのよ)箕沢林道へ。
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あ、写真は前回上げ忘れた駒止峠にある玉川林道の入口。

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2016年08月07日

2016 初夏の駒止峠(国道289号線旧道)

平成27年9月の関東・東北豪雨災害は、平成27年9月11日に日本海沖で温帯低気圧となった台風18号に収穫前の米農家は胸をなで下ろしたが、実は太平洋上で停滞していた台風17号によって日本列島を挟んで線上降水帯が発生、関東北部から東北南部に掛けて24時間の降水量が300ミリ以上の猛烈激烈な雷雨が発生した。

この「一日掛かりのゲリラ豪雨」とも言われた豪雨は南会津全域の河川や道路、水田などの農作物に甚大な被害を与えたのであるが、昨年は駒止に行く機会を逃してしまった。
駒止は通れないとさる掲示板に書かれたりしていたが、今年6月末に行く機会を作れたので行ってみる事とした。
何しろ、14’に達成したバイクによる駒止峠越え(旧大峠、小峠、通称”針生峠”越え)針生〜小峠〜大峠(駒止峠)までのざっくり60%までの完走率な訳で、大峠〜山口までの区間は未踏のまま2年も放置してしまっていたのだ。
この状況を打開する為に訪れるには時期を逸した感もある。やはり5月末から6月頭と思っていたが諸般の事情でこの通りである。

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2012年12月02日

唐沢峠


時は明治も中頃、未だ文明開化の荒波も届かぬ、奥会津の話じゃ。

諭吉はじっち(祖父)に頼まれて、山隣のおんつぁま(叔父)の所に薬を貰いに行きょった。
親子2代の鉱山夫でおったが昨年落盤事故で親父が怪我で山に入れなくなり、替わりにじっちとあんつぁ(兄)の徳吉の3人でズリ上げ(掘った土を坑道の外に出す作業)を手伝っておった。
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諭吉は嬉しかった。薬を取りに行く日は山に入らなくてええ。ついでに川縁の風呂で釣りをすんべ!久し振りの休みに諭吉は心躍った。
おんつぁまは家さ居ながったが、村外れでいぎゃった(出会った)後、薬を貰った。
「よぐきたな、おだちんやっから」と、神社の祭りで配られたお饅頭を貰った。

諭吉は薬と饅頭を持って、川縁の露天風呂に行った。階段の降り口に湯の神様と蓑傘冠ったお地蔵様があったので、少しづつ饅頭を分けてお供えしよった。
「じぞ(地蔵)さんも食わんしょ」
風呂に行った諭吉は気が付かなかった。透けて見える猿の様な手が、地蔵様の饅頭を盗んで行くのを。

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2012年02月12日

駒止峠


昭和31年12月22日、早朝5時。町内の積雪は4尺(1.2m)ほど。
「フォーン!」
未だ暗い鉛色の朝に列車の様なクラクションが駒止の峰に響き渡り、聞き慣れぬエンジン音とともに、山口郵便局の駐車場から見慣れぬ機械が現れた。普通トラックの大きさでキャタピラの付いた、それは「雪上車」であった。
「まるで戦車じゃな・・・?」
オーロラの様な銀幕を纏い走り去る2台の姿を、町役場前で除雪をしながら見送る交番のおまわりさんが呟いた。
今年も例年並みの豪雪が伊南村に到来していた。


「金嶺号」「銀嶺号」と名付けられた2台は、南会津郡伊南村山口郵便局に今月15日からから配備された豪雪地帯用逓送(郵便物を局間に配送する)車両である。
伊南村と田島町の間に横たわる「駒止峠」はこの地区(特に伊南村、桧枝岐村)の生命線でありながら、その峻険な地形故に冬場の難所とされ、明治の会津三方道路"新沼田街道"開削以来も、幾人もの命を飲み込んだ魔の峠である。そんな冬の駒止峠は逓信業務に携わる郵便局員らに因って支えられていた。

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2012年01月23日

会津の峠<番外編>「塩の倉峠」

会越街道「塩ノ倉峠」 "聖書"に無い会津の峠

「塩ノ倉峠」と聞いて、最初は「ああ、五枚沢の・・・」と思ってしまった。家に帰って確認するとそれは「塩ノ沢峠」だった(爆
そう、熱塩加納村のひめさゆり公園から五枚沢の部落にむかう、ピークにT字路が在って、左折すると明治の一大鉱山と言える与内畑鉱山に降りてゆく、あそこが「塩ノ沢峠」である。

ん?何処だ、塩ノ倉?
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2011年10月05日

金澤峠と小沼峠

村の端から、遠く東の山を見上げる百姓の親子が居た。
すっかり春めいたとは言え、旧暦の5月の青空の中、大塩には雪がちらついていた。
風が、小桧沢の峠からの風が強い日だった。

飯豊連峰の麓である喜多方は会津盆地でも春先はとりわけ寒さが厳しく、特に雄国沼の西側に広がる原野は風が強く水の便も非常に悪いところで在った。

「ココを拓いて、田圃にするだだ」
「ととぉ、こんな森をだか」
「んだ、このお山の上には沼があるんじゃ、春の遅い頃には一面黄色い花が咲くんじゃ」
「花畑があるんか?」
「んだが、花畑と言っても沼地なんじゃ」
「・・・・きれいだか、花畑は」
「そりゃおめ、極楽の様じゃ。じゃがな、村の皆は餓えとる。田圃や村を興さにゃいかん」
「とと、花畑、おらも見てぇ」
「大人に成ったらいぐべ。オメの分は遺しとく」

代官の父、平左衛門吉次は遠く猫魔岳の頂を見据えて、呟く様に言った。
「たとえ、あの金色の花畑が無くなっても、やらにゃいかん」
息子の吉実は父に握られた手が熱く、とても熱く感じられた。

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2011年02月17日

御霊櫃(ごれいびつ)峠

「御霊櫃峠」
名前だけ聞くと何か恐ろしい峠にも聞こえる、かつてのオフローダーの聖地である。

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聖書*に因れば、そもそも御霊櫃とは峠道の中腹にある石櫃を指している。
現在の林道をほぼ真っ二つにかつての峠道が現在も歩道として遺っていて、その途中に石櫃と呼ばれる石が鎮座するのだが、これが八幡太郎義家の前九年ノ役の頃のモノと言うから平安時代だ。
鎌倉偐権五郎景政が賊徒を成敗して郷土鎮護のため宮を創建するも、成敗した盗賊が怨霊となって祟り、この地に五穀が実らなくなってしまう。
困った村人らが祈願し、山頂に石櫃を持って怨霊を供養した所、立ち込めた暗雲も晴れて作物も実り、村人は豊かに暮らしたと言う。以来この石櫃を御霊櫃と奉り、神社を創建して崇めたと言う。

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2011年01月03日

ヨスケ峠2(会津編)

やや出遅れですが、皆様 明けましておめでとうございます。m(_ _)m
今年も当Blogを生暖かく見守り頂きます様、宜しくお願い致します。

まあベタですが、引き続き「会津の峠」(凡そ敗北編、またはお手軽編)をお楽しみ下さい。

江戸の昔、今で言う会津地方と中通り地方、即ち会津街道と二本松街道の峠と言えば中山(楊枝)峠である。
明治政府の時代となって街道は国道と改められ、明治14年の仮定県道一等線指定により、かつての里道であった沼上峠が昇格して新中山峠となり、現在に続いている。
新中山峠は移動手段に合わせた道の換線であり、ここには磐越西線の隧道群も存在する訳だが、それは総て車輪の為の道である。
江戸時代、人一人が持てる荷物で越える峠、つまり徒歩の峠が会津には沢山在った。所謂抜け道、横道と言う奴だ。
自分の住む部落の裏山から直接登って、街道を通らずに最短距離で隣の宿場に出る道。
ここもそんな目立たない、だけど街道以上に部落とそこを通る旅人に愛用された道。
ヨスケ峠はそういう峠である。
09yosuke-w005.jpg続きを読む
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2010年12月21日

ヨスケ峠1(中山編)

江戸の昔、今で言う会津地方と中通り地方、即ち会津街道と二本松街道の峠と言えば中山(楊枝)峠である。
明治政府の時代となって街道は国道と改められ、明治12年の仮定県道一等線指定により、かつての里道であった沼上峠が昇格して新中山峠となり、現在に続いている。
新中山峠は移動手段に合わせた道の換線であり、ここには磐越西線の隧道群も存在する訳だが、それらは総て[車輪の為の道]である。
江戸時代、人一人が持てる荷物で越える峠、つまり徒歩の峠が会津には沢山在った。所謂抜け道、横道と言う奴だ。
自分の住む部落の裏山から直接登って、街道を通らずに最短距離で隣の宿場に出る道。
ここもそんな目立たない、だけど街道以上に部落とそこを通る旅人に愛用された道。
ヨスケ峠はそういう峠である。

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聖書*にも峠が開かれた時期は明確に無い。
要は歩く最短距離を考えた場合、起点が会津で二本松領に向かうなら間違いなく楊枝峠なのだが、起点が湖南で本宮ヘ身一つで向かうと言う場合には、ストレートに山越えするルートがヨスケ峠、まさに最短距離である。
これが安積長森なら御霊櫃峠辺りなのだろうか?
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posted by みちはてな at 23:53| 福島 | Comment(2) | TrackBack(0) | 会津の峠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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