2016年02月21日

白河駅周辺の煉瓦橋

東北本線白河駅は明治20年(1887)日本鉄道本線の中の駅として7月16日の日本鉄道郡山駅延伸開通開業に併せて開業した駅である。
鉄道に関心の無い人は知らない事だが、明治期の日本の鉄道黎明期は総じて私鉄で始まっている。江戸から明治の過渡期の終盤であり、時の政府はいまだ明治維新の混乱と財政難を背負っていた時期でもある。
もっとも、19年後の明治39年にはそれらの民間鉄道は総て政府に買い取られ(東北に限れば「買い戻され」ともいえる「鉄道国有法の制定」である)元日本線と呼ばれた日本鉄道の路線名も明治42年には今の「東北本線」と改名される。

そんな白河駅であるが、幸運?にも東北新幹線の駅舎が別に建てられた為に、大正10に建てられた現在の二代目木造駅舎は、当時の風情のまま現在も「東北本線」として残っているのである。

しかしそれ以上に明治の建設当時の物が今でも現役で使われ続けている構造物がある。
それが駅南側の煉瓦橋である。
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2015年07月18日

万世大路ニ新タナ隧道貫通ス?

廃道界のカリスマ、ヨッキれん氏の「道路レポート78 万世大路『残された謎』高平隧道と大桁隧道」からの引用である。

一般に多くの人が「万世大路」として親しんでいるのは、昭和初期に改修が施された区間とほぼ一致(左図中青実線区間)しているのだが、もともと明治の万世大路とは、福島市の道路元標から、米沢市今町(現大町)に至るまでの、全長48.2kmに及ぶ道であった。
 そして、この長い道のりには当初5つの隧道が存在していた。
福島側から順に高平、大桁、二ツ小屋、栗子、苅安の名前があり、このうち現在も残っているのはお馴染みの二ツ小屋と栗子だけである。
消えてしまった3本の隧道はいずれも小規模なものであったが、このうち高平隧道は昭和41年までは現役であった。
唯一米沢側にあった苅安隧道は、昭和初期の改修にあわせて開削され、現道がその切り通しを通っている。
そして、最も短命であったのが大桁隧道である。
昭和の改修時には既に開削されていたらしく、工事の記録にも現れてこないのだ。
その為、ごく最近までそれがどこにあったのか、はっきりと分からなかった。
ネット上でも、これまでこの隧道の位置を特定したレポートは無かったように思う。


(ここまでマルコピ転載は酷くね?<俺)続きを読む
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2015年05月24日

モハ1116号機

サイクリングに続かない、別な接点へ続く。

前回の旧伊達橋、「だてばし」と呼ぶのかとおもいきや、訛らない。
「だてはし」が正式名称でした。
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それにしても重量制限6tて、これ電車を除いた重量だよねぇ、クルマと電車が同時に載る事もあるだろうし。で、今回はその橋を渡っていた乗り物を見て来た。別な意味でビックリしたが(笑w。
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(写真出典:福島交通電車軌道 廃止関係写真集 / 福島県道路維持課 編纂 福島県立図書館/蔵)

それはさる2015年4月1日に、保原交流館(旧公民館・体育館)の東側に復元された。

旧伊達橋最強の交通移動体、彼の前では当時まだ庶民に少ない自動車さえも一時停止し、橋の通行権を空け渡したという。
やがてモータリーゼーションの波にもまれ、衰退してゆく恐竜の最後の勇士であった。
信達軌道として明治41年(1908)に設立、運行を開始したこの軽便鉄道は、様々な紆余曲折を経て昭和46年(1971)福島交通飯坂東線、前線廃止となるのだ。実に63年、半世紀の運行であった。

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2015年05月06日

万世大路はこうなった!2015。

それは、早朝の野暮用の帰りである。
まだ朝8時半、本日からのキャンプツーリングは止むなく中止となり、急いで帰る必要性は失せていたが、家の片付けと言うのはいささか抵抗が在った。

「そうだ、近くにイコウ!」(ヲイヲイ)

という訳で栗子ハイウエーまで来てしまった。
そんな訳?なので、今日の愛機は久々のニコイチTT-R269改である。バイク屋から「廃道走行禁止令」が出ている機体では在るが、まあ勝手知ったる道なので大丈夫だろう。
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2011年08月23日

身近な震災被害2 万世大路はどうなった!? 最終回

3.11から3ヶ月後の6月初頭、MRは単身で旧国道13号線「万世大路」を来訪、取り敢えず二ツ小屋隧道、鳥川橋を観察した。
少なくとも確実に震災の影響と言える物は無く、あくまで経年劣化に伴う崩れや漏水程度で済んでいた。

もともと栗子山隧道まで逝くのは躊躇していた。震災の件もあるが、そもそもバイクで逝くには遅過ぎる。薮が萌え始める前、ギリギリ残雪を回避出来る5月中頃から終盤だろう。
MR的に6月の声を聞いての散策は既に路盤が見えない薮カキ行軍と同義である。五色林道旧道でも見たが、廃道にタテにクレパスが入っているのだ、薮では確実に落とし穴状態だ。危険なんてもんじゃない。

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だが、実際には・・・?


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2011年07月16日

身近な震災被害2 万世大路はどうなった!? その3

先月(5月)残雪のため通行止めだったQR13万世大路に再び赴いた。

6月の新緑が目に滲みる季節となっていた。

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2011年05月04日

身近な震災被害2 万世大路はどうなった!? その2

昭和初期の傑作ともいえる万世大路の6m幅ヘアピンカーブの終点。
明治時代の物と言われる旧旧路盤が進行方向右側、つまり北側にある平たい部分が、昭和の石積みの終わった辺りから徐々に登り始める。

実際には、昭和の改修時に道幅を広げるべく隧道の道床を2m近く掘り下げた為、かつての旧旧道床の部分だけが残っている。
その旧道床の頂点に一つの碑が明治時代から建っている。今、ジムニーのいる旧道からよく見えるのは冬枯れのせいで、春を過ぎると道路からは全く見えなくなる。
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その石碑には『鳳駕駐蹕之蹟』とある。そう、ここは「明治天皇がここで乗り物を降り、休憩なされた場所」なのだ。
毎年見ているが、5月頭に見るのは初めてである。

そして、目前には目当ての一つである「二ツ小屋隧道」がその姿を現した。

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2011年05月02日

身近な震災被害2 万世大路はどうなった!?

震災の翌日から叫んでいた事がある。

ソレは・・・

「聖地!万世大路(QR13)は、大丈夫か!!!!」



本日、震災復興のお仕事が昼前に終わったので、逝ってみた。
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2011年02月13日

2010、Decな菱川「完成!て・・・」

菱川林道は本体の林道日記に在る様に、国道13号線横川に注ぐ支流、菱川を遡る林道です。
林道自体は基本尾根越えをせずに終了し、ピストン林道の状態です。それはかつて日本がパルプ産業全盛の時代に開拓され、見事な造林となっています。
そして当然の事ながら、その為には作業道が必要であり、作業する人の村が必要であり、その道が尾根を越え南東側の大平の部落まで続いているのです。
Digital Touring Msgazine DTM: http://dtm-rt.o.oo7.jp/
 林道日記<メニューまたは廃道日記<メニュー
菱川林道/林道日記:http://dtm-rt.o.oo7.jp/3.dtm/1.Rindou_File/37.hishikawa/deta37hishikawa.html
     廃道日記:http://dtm-rt.o.oo7.jp/3.dtm/6.ObRoad-Diary/project-2/006.hishikawa-sab3/hid-hishikawa3.html

2010、Novな菱川林道、その2。

2010年10月末、手元にバイクが無い事に焦りを感じていた今日この頃、MRは空いた午後の時間に愛機ジムニーで菱川に来てみた。

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2010年04月21日

花園神社にて

花園神社
花園神社はツーリングの度に訪れる神社である。巨大な杉の大木である「高野槙(コウヤマキ)」の深い緑と茶に囲まれた境内には、鮮やかな朱色の社が鎮座する。その荘厳さと手前の沢が運んでくる霧の様な空気が鮮烈な神社である。
そもそもMRは神社の様な神域の、凛とした空気が好きである。それは漠然とした思いでしかないが一種の癒しの様な感覚なのだと思う。
花園神社は入口の県道から直ぐの沢を朱色の眼鏡橋を渡る所から始まる。そしてこの花園川が運んでくる大量の湿気が、四季折々の豊かな表情を作り出すのだ。

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唯一のネックと言えるのは市道花園線から境内に入るコンクリート橋だ。朱色に塗られているが明らかに全体の和を逸脱していて実に惜しい。
ここは一発、木製の雅な眼鏡橋をお願いしたい(この際、重厚な石橋でも良いけど)のだが・・幾ら掛かるんだろう?
その橋を挟んで特大の杉が立ち並ぶ。これも高野槙なのかな?境内の案内板には「神殿の左右にある御神木」と在るが・・・?



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2008年03月02日

万世大路動画補完計画

MRです。
昨年末から目一杯で、ブログが若干放置プレイになりましたが、これで一段落。
幾つか謎が残りますが、まあそれは追々調べるつーことで。

さて、

万世大路動画補完計画である。

平成7年はまさに万世大路づくしの1年であった。
春4月末、まず新沢橋の走破。旧飯坂スキー場の旧国道合流点から旧道新沢橋までの動力車による通行、走破。
同行した紅白饅頭さんは廃道ファーストラン、SJ30Vさんの脳内ルートにお気に入り登録された。


連休明けの5月、Kimi&Sin両氏の協力を得て初の万世大路山形側廃道ルートの走破。
初めて、栗子山隧道山形抗口(明治抗口)・栗子隧道(昭和抗口)を間近に見る。
同時に、栗子隧道抗口付近で謎のレールを発見する。

(余談だが6月末、ヨッキれん氏らによる栗子隧道再貫通計画実施)

秋10月末、Kimi&Sin両氏らが再び栗子隧道福島抗口に到達。
そして11月、あづさ2号さんとの共同企画が発動。熊五郎さん、とらさんらとともに、
1日で万世の総てを走り尽くす初めての試み・・「万世ジェットストリームアタック」が強行された。
本誌レポートについては既に
前半戦山形側を「そうだ。遠くへ逝こう」http://www.geocities.jp/wxfff590/index.html
 管理人あづさ2号氏が、

後半戦福島側を「DigitalTouringMagazineDTM」http://dtm.fc2web.com/
 MRがレポート済みである。

(両ページとも、いずれ残りを執筆予定?)

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2007年09月02日

大沢隧道

いわきに行ったら見てみたいと思う隧道がある
どういう経緯で掘られたかは解らない。知らない。
しかし、
一度見てみたい。ところが当日はなんとコピーを忘れる
「ええっと、何て隧道だっけぇ・・・?」いかん完全に忘れてる。何処だっけ?
仕方がないので、持っていたロードマップを親のカタキのように睨み付けて探すと、
怪しいトンネルマークが幾つも在るではないか?
そういえば、ここは炭坑の町。
かつて町中に「穴掘りシモン」がいた訳である。坑道は無論のこと、鉄道輸送のためにそれこそ無数にトンネルを掘って、石炭を運んで居たに違いない。(「コアドリル」を見付けたかどうかは知らないが)
「え〜〜〜〜〜っとおぉ・・・・」
これか?
そう言えば、ゴルフ場に囲まれていたような・・・?
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posted by みちはてな at 20:52| 福島 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 道路遺構のミニレポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月29日

末続の隧道群2

正直、末続隧道は改修されすぎて、鬱蒼とした林にある以外はポイントを付ける場所がなかった。
扁額の文字は“らしくて”いいんだが・・・残念。
常磐線に後ろ髪ひかれつつ、先に進む。
この旧道沿い、広野町の境にもう一つ隧道があるのだ。
その名を、夕筋隧道という。
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2007年07月22日

末続の隧道群

国道6号線。
江戸時代からの水戸街道と岩城相馬街道を合わせて、明治には陸前浜街道と言われたこの道は、明治18年に内務省告示第6号にて国道15号線(正確には水戸から宮城までの路線部分)となった。これが大正9年制定の旧道路新法で東京〜宮城間を正式に国道6号線となった。
戦後、昭和27年制定の新道路法で一級国道6号線となり後の昭和40年に一級、二級がなくなって、現在の一般国道6号線となった。

余談ではあるが、東北自動車道も早く「一般高速道路4号線」とか常磐道も「一般高速道路6号線」とかで早く無料化すべきであると思っている。

さて、久ノ浜〜広野間といえば、泣く子も黙る隧道多発地域として一部マニアに絶大な人気があり、もー既に語り尽くされていた感があるが、最近仕事の移動と称して旧道に出没するMRの姿がここにもあった。
ツーリングには県道35号いわき浪江線&34号浪江相馬線を多用し、国道6号には基本的に出没しないまるで冬眠前の熊のようなMRだが、いわきのトンネルを巡る都合上、やむなくきたのだが・・・。
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2007年07月08日

コ・レ・ナ・ン・ダ?

最近MRは仕事と称して道路脇の写真を撮影している。

すっかり通い慣れた感のある湯本の山裾ではあるが、それでも国道49号から直接小名浜や植田に出るためのルート確保のため地図を見ながらの運転だ(危険なので良い子はマネをしないで下さい)。
時には社用車で、時には愛機ジムニー3号で今日も裏道をゆく。

当然、ルートごと、時間ごとにソートという事態に陥るのだが、湯本という町はその道路形態の煩雑さでは福島県随一だろう。とにかく、城下町育ちのMRには理解し難い難解さである。
かつての鉱山都市、湯本。言い換えれば「軌道の町」とでも言おうか?
そして、それ故におもしろい町である。

ある日、例によって最短ルート探索の折りに、何だか良く解らないモノに出くわした。

「なんじゃい、こりゃ?」

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2007年07月07日

春の万世大路 3

万世大路を逝こうと言う話は今に始まったことではなく、前々から逝く人は数多く居た。
MRのサイトにリンクする各ページの管理人様がたにもこの道の魅力に取り憑かれた方は数多い。
まして崩落したトンネル内に入り込み、あまつさえ己の到達の記念を残す強者や、何度も歴史文献から分析し実地踏破を持って確認する達人までいて、もうここまでくると近代土木遺産といえど、殆どアマチュア考古学者状態である。いや、歴史学者か?
MRといえば、相も変わらず「通過する事が凡て!」の行動原理の元、日夜山中を俳諧している訳で、行動の結果としてその道路にまつわる事象をHPで羅列しているにすぎない。
まして所詮一介のツーリングライダーである。
本来なら通過できない「逝って来い」林道は通常「罠」と称して忌み嫌う性癖がある。

ただ、この道には、決して通過のかなわないこの万世には、確かに人を引き付けるモノがある。
それは執念と言うより怨念、いわば自縛霊に近い。しかも四季を通して心に刻まれるモノは確かに存在するのでは?(勿論霊ではない・・・と思う)
MRの気のせいだったらゴメンナサイ。
何時でも謝る用意は万全なので、一言お書き添え下さい。(爆
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今年、新沢橋攻略後、3人は再びスキー場跡から二つ小屋隧道を潜っていた。
無論、こーはくさんは初めて。
SJさんもMRとしか来る事は無いであろう。
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2007年04月20日

07年春の万世大路 2

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この旧道を下ってゆくと約1Kくらいで新沢橋に辿り着き、やがて旧道は拡幅された現道の法面となってしまうわけだが、そこまでの通行は可能な筈だ。
路面が泥濘はまさに長年に渡って蓄積された真性の腐葉土であり、目前の明治国道はさながら「腐海の森」である。思った程軟弱ではないようで車は前進する。十分交互通行が可能な道幅をもつ旧道を進むと、倒木が横たわる。
既に車やバイクで踏み越えた跡があるので、同じく踏み越え前進すると、直ぐ先にも同じような倒木がある。どちらも根元から引き抜かれた様に倒壊している。木の生えている根元では抉られ、掘り出されたような明治の石組みもある。

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「あっ・・・・!」
思わず小さな声を上げていたMRの目には、迂回不能な道のど真ん中に生えた木が写っていた。その枝振りは、まるで通せんぼをする子供のようだ、なぜか山側の法面も土砂流失のせいかエリ足が短く、流石のジムニーも通れない。
「バイクは逝けそうだな」
仕方なく戻る事にして、いそいそと車庫入れを始めると突然我に返ったかのように異変に気づいた。
「ハンドルが重いぞ」
ドアを開け放ち路面の状況を覗き込むと、何やら芳しい香りが鼻を突いた。
「しまった、マスク無しで腐海の障気を吸ってしまった!」などと思ったが「大丈夫、毒はない」じゃなくて、何か芳しいぞ?このかほり、何処かで・・・???
そう、これは炭の香りだ!!シートベルトを外して手を伸ばし、指先にたった今ジムニーの前輪で撹拌した泥を乗せ臭いを嗅ぐと、確かにこれは高級な炭の香りである。何より、掬った泥の粒子の細かい事!石鹸みたいである。
冬の間はバクテリアの活動も軽微で土本来の香りなのだろうが、暖かくなって発酵が始まると猛烈に悪臭に違いない。
そして、ハタと気が付く。
「埋まっている・・・・(滝汗。。。」
事態は既に最悪の方向へ舵を切っていたのだ。続きを読む
posted by みちはてな at 06:20| 福島 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 道路遺構のミニレポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月17日

07' 春の万世大路

平成18年度の最後は怒濤の仕事内容となり、本編、ブログとも全く更新できませんでした。
とりあえず、この場をお借りしてお詫び申し上げます。

さて、今年は改めて万世大路ということである。
その下見関連のお話をブログにアップしておく事にしまスた。

4月頭に早くも掲示板常連の紅白饅頭さんが覗きに出向いたようだが、後の2週間後の続編みたいなものである。
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昭和40年に栗子ハイウエーが開通し旧道化して栗子山隧道を主眼とする旧国道13号線は明治14年に開通し明治天皇東北巡礼の際に「万世大路」と命名された歴史在る旧道ですが、当の栗子隧道(改修後は「山」が抜けた名称になる)は旧道化した後の昭和47年に内部崩落を起こし閉塞。現在に至っています。

以来、星の数ほどの廃道系サイト様方が訪れていますが、ここでは独断と偏見で幾つかのサイトをご紹介しておきましょう。
「万世大路って、ナニ?」と言う方を始め、興味在る方も無い人でも読み物としても、十分楽しめるレポートばかりですが、一部かなり危険ですので良い子は真似をしないようにしましょう。(核爆

全体の状況なら!
dark的道部屋様>
dark的道部屋
万世大路〜国道13号線 旧道 諸説(2004年)

隧道内部の(最新?深?)状況なら!
山さ行がねが様>
廃道・隧道・廃線・林鉄の踏査〜山さ行がねが〜
道路レポート 国道13号旧道 栗子峠<万世大路> 再訪編 第一回(2006年)

福島県側をカブで走破。最新のレポなら!
そうだ、遠くへ逝こう様>
そうだ、遠くに逝こう
万世大路(2006年)

さて、例によって旧飯坂スキー場から旧道にアクセスする。
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posted by みちはてな at 00:56| 福島 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 道路遺構のミニレポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月25日

晴れ、ときどき標識。1

「国道349を走る」
R349は福島の東側に当たる阿武隈山地を縦走する3ケタ国道である。
国道というより県道に近い表情を持ち、福島市近隣の市町村を繋ぐルートだ。地図で見ると阿武隈の山裾を走り、まるで福島市を迂回し、県境とも言える梁川に到達、阿武隈川と共に宮城県まで続いてゆく。
MRは自宅が二本松と言う事もあり、東和町経由国見行きでよくこのルート使う。時間によっては国道4号など駐車場状態(特に競馬開催時はつらい)だし、取り締まりもきつい。バイクの場合、パッシングポイントが多い田舎道の方が好きである。
ちなみに自宅を出て東に向かうルートと言えば、悪名高き県道62号線である。
東和町でR349に合流するも、国道は元東和町役場(現二本松市東和支所)前に立派なバイパスとなって、町中は閑散として地元の軽トラがトコトコと走る。
R349はここから川俣・月舘・掛田(霊山)・保原・梁川を経由してゆく。
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さてこのR349、旧標識の生存率が多い国道である。
標識と言えば、リンク先の「dark的道部屋(管理人dark-RX様)」
http://www10.tok2.com/home/michibeya/が思い浮かぶ。
彼のページにある「旧標識の識別表?」を片手に、今日はこの東和から川俣・月舘・掛田(霊山)と走ってみよう。

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posted by みちはてな at 12:31| 福島 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 道路遺構のミニレポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月01日

霊山の隧道(2)副霊山隧道

霊山玉野地区には2つの隧道がある。
玉野小学校の側(西側)にあるのが副霊山隧道、明治生まれの玉野隧道に比べ、ずっと若い昭和うまれであります。
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副霊山隧道は全長367m・車幅4.2m程、その中に普通車と軽自動車がギリギリ擦れ違える車道と、1mもない歩道があります。一応縁石で区分されてますが、その高さは低く、時として普通車が歩道に乗り上げて他車をやり過ごす場面もありました。学校のある南側から、コンクリート巻き・素堀モルタル吹き付け・コンクリートアーチ(本来の北側抗口)・スノーシェイドと、さながら雪国の見本のような変化に富んでいます。
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posted by みちはてな at 00:24| 福島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 道路遺構のミニレポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする