2017年01月30日

かわいい人妻を観に行く「この世界の片隅に」

正月に時間を作って見に行った。
日本のアニメーション映画で初と成るクラウドファンディング(不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す:出典Wiki)となる事とか原作が素晴らしいとか、まあ色々聞こえて来ていたが、
見に行こうと思ったのはいい加減終戦の日にジブリの「蛍の墓」を見るのがイヤになったからに他ならない。
こう言ってはなんだが戦争の悲惨さの押し売りは見たく無いのである。
次に戦時中の一般国民が主人公(軍人では無い)という所と絵の素朴な可愛さである。
これも某「〜の墓」の「悲惨の押し売り」からの回避なのかも知れない。

個人的にこの手の映画は「泣いたら負け」なので気力を振り絞って泣かないで最後まで見る事に徹した。
感動とは厄介な感情で、泣いた理由以外の物語のデティールを飲み込んで忘れてしまう作用があるからだ。
コンサートなんかで曲の順番とか覚えられないのは、嬉しくて泣きながら謳ってしまう故である。
また、戦争映画と言う事で、予備知識があるのも問題だ。
戦争の悲惨さは、中学高校と太平洋戦争の戦史を読み漁った身としては十二分に承知していたし、長崎の原爆資料館や松戸の地下大本営、土門拳の「ヒロシマ」などで客観的に戦争を見詰める機会を得れば、その現実の無慈悲さはテレビを通して見るより遥かに壮絶である。

当然というか、原作は読まずにまず映画を見てみた。すぐに原作を買い求め読んだ。
その感想である。

驚いたのは原作の、もの凄い生活感である。
これ程食事のシーンが多い戦争映画は見た事が無い。
しかも食べてる物の素朴さ、知らない代用食品の多い事、勿論最前線の兵士などはガダルカナルなどでも補給を断たれ、深刻な飢餓状態だった。島から二日で蛙が消え、四日で蛇が消える。
それはそれで苛烈な生存競争だが、昭和19年の食卓が江戸末期より祖末という惨状は、それもまた深刻な飢餓状態と言える。
代用食、代用燃料、およそ生活物資のあらゆるものが代用され、終いには人間すら代用され、神棚に祭るごぼうの様に太く豊かだった国民生活がまるでか細い一筋の糸の様に絞り込まれてゆく切なさは言葉にならない。
原作者も、それに続くアニメ監督もそんな「戦時中の普通の生活」を実によく調べ、深く考え、明るく見易く作ってるのだ。だからこの作品にはある意味悲壮感が無い。
主人公すずもそうだが総てを受け入れ飲み込んで、明るく生きて行く。
明るければ明るい程、際立って戦争の悲惨さが反面教師の様に見えて来る、周到に考え抜かれた恐ろしい作品なのである。
 KS-4241.jpg

また、原作では鬼の様に当時の軍隊の組織や兵器などを解説しているが、それらが忠実にアニメ化され、いやいや"より現実味を付加して映像化"された時の怖さがあった。
なまじ当時の生活や日本人の季節感溢れる営みを忠実に再現した故に、異端な筈の爆弾などの兵器の実在感がさらに増幅されると言う手法が凄かったと思う。
あんな4コマ漫画の様なキャラなのに、いやそれ故にリアルに移る騙し絵の様な戦争の現実。
ああそうか?ゆるキャラだから戦争の悼ましさが緩和されるのか。

原作もあの状態からよく最終回に話を持って行ったと思う展開だった。
(見れば解るよ、うん。あれは強引だ)
愉しめますよ、キョーミの在る方は是非ご覧下さい。

このスルメの様な作品、読む時や気持ちで、また印象が変わるかも知れない。
posted by みちはてな at 00:48| 福島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 寝言は寝てから言え! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック